皆さんこんにちはSPCです。
今年2回目のブログ更新は5か月ぶりの大井川鐵道です。
今回は
を使って乗り鉄してきました。
まずは前編、東海汽缶&大代川側線の内容をお送りします。
毎度恒例、5087レの金谷駅中線停車です。
牽引期は現状数少ないネタ釜ともいえる蛍光灯カバー搭載のEF65 2089号機。
今年度のEF65の運用は関東圏での運用がほぼ消滅して、この5087レを始めとする関西巡業運用が残ってくれたようです。
運用数を減らして休車をかけることによって、来年度も定期運用を残せるようにしているのでしょうか。
金谷駅を出て徒歩で東海汽缶 蒸気機関車整備工場に向かいます。
工場の前にはどこかのテーマパークのものと思われる遊覧車が置いてありました。
大井川のC56、C2のボイラーの整備もままなっていないのに、また仕事をもらってきてしまって大丈夫なのでしょうか?
記憶にある限りでも虹の郷の客車、明治村の9号機関車、この謎の車、C56 135のボイラー、C11 227のボイラーと仕事が山積しているように見えるのですが...
深くは考えないことにしましょう。
工場前には先日C11 227と台枠を交換し、無残な姿になったC11 217が鎮座していました。
その前には明治村9号の動輪が置かれています。
元227の台枠の前梁には謎の円盤が付いています。
10年間、子供たちの夢を運んだ証ですね。
裏から217のボイラーを見ていきます。
高岡で塗った白い塗装もクレーンで釣った時に剥がれたところからだんだん錆が出てきています。
焚口戸には蓋がされていませんがこれは大丈夫なんだろうか...
個人的な推測でしかないのですが、追々は徹底的にOHして227か190のどちらかに載せ替えるのではないかと予想しています。
仮に227に載せ替えた場合、それは最早217号機と言える気もしますが...
車体の奥には元227の動輪と先輪、217の従台車が置かれていました。
台枠を217のものに置き換えるということで、動輪やロッド類も置き換えた方が相性を考えるとベターなのでしょう。
単純に227の動輪がタイヤ厚や輪心、車軸の歪みの点で使える状態にないのかもしれませんが...
元227の台枠とシリンダーを見ていきます。
蒸気機関車の動態保存と言われるとボイラーが命だと言われますが、個人的にシリンダーはその次に重要な部品であると思います。
東武のC11 123や先日引退した58654はボイラーをほぼ新造していますが、そのどちらもシリンダーに関しては現役当時のものを使っています。
過去にネットの記事で見ましたが、鋳物の部品で莫大な費用が掛かるため、SL引退後にシリンダーは一切新造されたことがないそうです。
摺動部品であるため摩耗しやすいはずなのに、保存蒸気はすべてオリジナルのシリンダーを使っているのです。
227がまだ現役で走っていたころ、ドラフト音とは別にやたらデカい排気音が聞こえてきたのは多くの方が知っていると思います。
真相は分かりませんが、元227のシリンダー(恐らく亀裂や歪みが出ていた?弁装置周りの故障かもしれんが。)は相当深刻な故障に見舞われていたのでしょう。
58654も引退間近の頃は変なドラフト音を鳴らしていましたね。
今回、227は217の比較的状態良好と思われる台枠とシリンダーに交換することが出来ましたが、将来を見据えたとき同じように状態良好なドナーがあるとは到底思えません。
ボイラーと同様、シリンダーが限界を迎えたとき、日本の保存蒸気は終ってしまうと言えます。
敷地の反対側には11月の時と変わらず様々な部品が置かれていました。
続いて大代川側線にやってきました。
富士山がきれいに見えます。
元々道路を挟んで川側にあった部品類が一気に線路側に移されました。
ざっと内容を挙げると
- C11 217の廃パーツ(水タンクや煙突、砂箱、元空気ダメなど)
- 旧型客車の古いスポーク車輪(タイヤ厚がもう無い)
- C56 44がタイで付けていた連結器
- C56 44のカウキャッチャー
- いぶき501のスノープロウ
- 近鉄16002Fのものと思われる補機類
- TR23台車枠一つ
といった感じです。
恐らく草むらに埋もれて見えていなかったものもあったんでしょうね。
個人的にはいぶきのスノープロウが一番気になりました。
仮に今後いぶきがATS装備で復活するのであれば、高崎機関区のSLのようにスノープロウでATS車上子を隠して搭載したらいいのに、と思っています。
何よりスノープロウが付くとより重装備に見えてかっこいいですよね。
この先このパーツ類がどうなるのかですが、必要なものだけ残して水タンクなどの不要物は屑鉄業者行きになってしまう気がします。
今は鉄の買取価格も高いので、お金になりますからね...
TR23台車枠の奥に若干見えますが、中古と思われるRC枕木がたくさん置かれていました。
既存の区間の軌道強化に使うのか、それとも不通区間の災害復旧に使うのかは不明ですが、少しづつ線路の強化を進めていくようですね。
災害・経年に耐えられるように線路設備を整備していってもらいたいものです。
部品類の奥には12月の連結器開放事故の当該車両であるE34とオハフ33 469が止まっていました。
続いてE33を見てみるとなんと金谷方の連結器が取り外されているではありませんか。
これは個人的な推測に過ぎないですが、恐らくE34号機の千頭方の連結器を正常に機能するものに交換するよう、国交省から指示が出たのかと思います。
十中八九あれはヒューマンエラーだとは思いますが念には念をということなんでしょうね。
どっちにしろE33はMGレスや抵抗器or主電動機の不調?といった問題があり、部品取り機化は確定だったので仕方ないと思います。
この時はまだATS車上子はE33に残っていますね。
ただ、この様子だとE32の全検の際にE33のATSを移植する可能性も十分にありますね。
影の立役者として、E32,E34の活躍を見守ってもらえたらと思います。
こちらはE33に連結されたオハ35 22です。
車籍を有する最若番のオハ35ですが、この先どうなってしまうのでしょうか。
部品取りなのか、解体なのか、はたまたここで本格的な修繕をするのか...
個人的には乗ったことがない車両なので復帰してもらいたいものです。
さらに奥にはC11 227の砂箱やケーシングが置かれていました。
砂箱は塗装剥離して再利用、ケーシングは新製になると思います。
C11 217の台枠についていたランボードの歩み板も捨てられていますね。
これも新しく縞鋼板に張り替えでしょうか。
写真はありませんが、ジャンプして庫内を見たところ、217の台枠が置かれていました。
梁に錆止めが塗られていたので、少しずつ整備は進んでいるのかな?
とにかく早くC11 227が現役復帰して黒光りする車体を見せてくれることを願うばかりです。
少し長くなってしまったので、ここまででいったん切り上げます。
ご覧いただきましてありがとうございました。
後編ではかわね路に乗車していきます。それではまた次回。