SPC旅行記

鉄道マニアの主の旅の様子を紹介します

京都鉄道博物館に行ってみた!

皆さんこんにちは。SPCです。

今回は友人三人と京都鉄道博物館に行ってきたので、そのレポートです。


鉄オタ恒例の12050円を支払って青春18きっぷを入手します。


浜松駅6:01発、特別快速米原駅に乗車します。豊橋・岐阜間は凄まじいスピードで飛ばすのでたった2時間半で米原駅に到着です。

平日はこの列車が大垣行きなので大垣ダッシュが恒例ですが、今回はその心配もありません。

米原に到着。ここから新快速姫路行きに乗車します。

新快速に揺られて一時間、浜松駅から三時間半。ようやく京都駅に到着。


嵯峨野線に乗り換えて梅小路京都西駅に。そこから前売り入館券でスピーディーに入館を済ませました。

本館の入り口でC57 1姉のお顔と安全弁がお出迎え。

第二研修庫ではC57 1の台枠とボイラーが置かれています。

ボイラーはサッパボイラ行きな気がしますが、なかなか搬出されませんね。

鬼門のシリンダーもメーカーに依頼して修理でしょうか。

復帰まであと何年かかるのか...


扇形車庫ゾーンにやってきました。

火を入れたD51 200が駐機しています。ぐずついた天気がなんとも...

先日脱輪事故で負傷したC62 2と2018年の脱輪以来放置プレーとなっているC61 2が仲良く並んでいます。

C62 2「まさか俺もあんなことになるとは...お前の気持ちが痛いほどわかったよ...コンプレッサー借りパクしてごめん...」

C61 2「仕方ないぜ...流石のJRとはいえコロナでお金がないんだから...お前はまだ軽症だから夏ごろには復帰できるはず。俺はどうなるか...」

こんな会話が聞こえてきます。

働けないお二方を横目に今日もC56 160がせっせとスチーム号を牽引しています。

C56 160「ようやく本線引退したかと思えば、俺より若いのに働かないハドソンお二方のせいでフル出勤しているのはなぁぜなぁぜ?」

何気に元気な8630とポニーの力で何とか運行が回っているような気もします。

やっぱりもう一台ちゃんと整備した構内用動態保存機を用立てた方がいい気もします。

全体的にSLが疲弊してくるとどこかの静岡のトー○スラ〇ド鐵道みたいになりかねませんから...

線形車庫の外には再塗装されピカピカになった1080号が置かれていました。

次の再塗装対象は塗装の痛んでいるC55 1かC58 1だといいですね。


11時発のスチーム号に乗車します。マイテ49 2にはスチーム号乗車200万人記念のHMが装着済みです。

京都鉄道博物館直行ツアーに使われたキハ189も見ることが出来ました。

いつかはまかぜにも乗ってみたいですね。

梅小路公園の桜も咲いていてきれいでした。


一旦食事を摂るためにレストランに来ました。(飯テロ失礼)

関西プレート(焼きそばとたこ焼き、目玉焼き)は1290円。

美味しかったです。(欲を言うならもう少し量があるか安いと尚良し。)


室内を見ていきます。1番線の列車はさぞ面白そうです。


展望デッキにやってきました。

N700Sや223系新快速などを見ることができます。

流し撮りはなかなか難しいですね。

ぼーっとしていると、後方からDD51 1183がチキ二両を牽引してやってきました。

私にとっては初めて見る生きたDD51です。

梅小路の番人こと、とんちゃん様(https://twitter.com/c0FpaILJPG7ipyC)に現地でお会いした際、この列車は米原訓練だと教えていただきました。

他にもいろいろと興味深いお話を頂き、楽しかったです。

この場を借りてお礼申し上げます。

もう少し待っているとEF65 2074牽引の5087レがやってきました。

手前の貨物線を走るので五重塔と合わせて被写体が大きく写せますね。

2074号機は全検が今年度中に切れるので撮影できて良かったです。


5087レが通過した直後、野太い汽笛が一発。

第二研修庫前で駐機していたD51 200が構内試運転のためにスチーム号に並走する形で動き出しました。

テンダー機が二台同時に動いている姿は圧巻です。

令和の貨物機関車EF210と昭和の貨物蒸気機関車D51の並びです。

力いっぱい貨物列車を牽引できる後輩のことをD51が少し羨ましそうに見つめています。

実際問題D51 200は現役当時の15kg/cm³の缶圧を維持しているので、1000t貨物も低速でなら引き出せそうな気もします。

JR貨物と協力して吹田ぐらいまでコキを引っ張ってみない?死人が出る気もするが(ry

試運転線まで前進してきました。

フレーム内にD51,C62,DE10,オハ46,マイテ49と国鉄車両しかいない光景は壮観ですね。

こんな光景は梅小路と大鉄くらいでしか見られない気がします。

その後は試運転線を何回も往復。

四軸の動輪と15気圧の大型ボイラーが生み出すドラフト音は凄まじい迫力でした。

失礼ながらC10じーちゃんの走りが弱弱しく見えてくるほど。

蒸気の現役時代は本当にすごかったのでしょうね。

ピカピカに再塗装されたはずの車体もあっという間に汚れてきてしまいます。


試運転が落ち着いたので一旦館内へ。

この日、館内の車両はどれもテールライトを点灯して展示されていました。

吹田の倉庫でニート生活を送るEF66 27号機とは対照に毎日大量のお客を出迎える35号機。

35号機は安住の地を得たわけですが、27号機はこの先どうなるのか...

個人的にはきれいに再塗装して吹田機関区の構内にガラス張りの部屋を建てて、保存してあげてほしいです。(わがまま)

展示線には新たに収蔵されたクハ117‐1が置かれています。

国鉄を思わせるMT54搭載爆音新快速、乗ってみたかったですね。Nゲージほちい)


また汽笛の音が聞こえたので館外に出てきました。

D51 200が試運転を続けています。

この日はだんだんと速度を上げていって、足回りに異常がないかチェックしていたようです。

トワイライトプラザのオロネ24の車内が解放されているということで見てみます。

肉厚なシートや国鉄の香りを、寝台特急に間に合わなかった世代ながら感じることができ、非常に良い体験でした。


C56 160の給炭水作業を見るために扇形車庫ゾーンにやってきました。

C57 1のテンダーは扇形庫内で整備待ちのようです。

D51 200が山口に発送されたらようやくC57の検査も本格化しそうですね。

D51 200は本気の試運転を閉館まで続けていました。

連結を解かれたポニーが転車台に出てきます。

脱輪事故の影響か心なし職員様方もシビアになっていたようで、緊張感のある作業が続けられていました。本当にお疲れ様です。

にしてもC56、かっこいい。135の復活が待ち遠しくて仕方ありません。

C56が扇形庫に収容されて一日のスチーム号の運行が終了。

私たちも京都鉄道博物館を後にします。


その後は、私の友人S君が初Nゲージを購入するとのことで、イオンモールKYOTO店にあるポポンデッタへ。

KATOのC57 一次型と旧型客車4両セット、M1を購入したようです。

同行した友人H君も既に私のせいでNゲージの沼に嵌められています。

先日もKATOのC11と旧客、EF65 2000を買ってしまったとか何とか。

現状沼を回避できているのは友人N君だけです。

本当に申し訳ない。(意訳:いいぞ、もっと浸れ)

ご多分に漏れず私もちゃっかりKATOのスハフ42/ オハ47の旧客を購入。

元々茶色の旧客を4両持っていたので、これで茶4,青2のバランスよい編成になりますね。


Nゲージも買ったことですし、帰路につきます。

帰りは奮発して新幹線に乗車。浜松までワープします。

車内で余韻に浸りながら駅弁を食べます。

JR東海が売っている厚切りロースかつ弁当を頂きました。

衣がちゃんとサクサクしていて非常においしかったです。(飯テロ失礼)

一日の最後にしてN700Sに乗れてラッキーでしたね。

浜松到着。本当に新幹線は早くて便利ですね。(春休み5回の旅行で最初で最後の新幹線利用。)


ということで、今回は京都鉄道博物館への旅行をブログにしました。

D51 200の構内試運転を見たり、C56 160牽引のSLスチーム号に乗車したりできて本当に良かったです。

同行してくれた友達三人も本当にありがとう!最高の友人です。

またこのメンツでどこかに行きたいところですね。

魅力がいっぱいの京都鉄道博物館、皆様もGWなどに行かれてみてはいかがでしょうか?

 

次回は名古屋で撮り鉄をしたのでその内容になります。

ここまでご覧いただきありがとうございました。それではまた👋

2024年3月 新金谷ウォッチング Part2

皆さんこんにちは。SPCです。

今回は 2024年3月 新金谷ウォッチング Part1 - SPC旅行記 の続き、後編になります。


まずは金谷東公園にやってきました。

試運転幕を出した南海6000系が止まっています。

床下にはピカピカのMGが装着済みでした。

車内には車いす用のスロープが置かれています。

東急7204Fとの並び。東急は恐らく重要部検査に入りました。

南海の運用入りはいつになるのかですが、そう遠くないうちには運用入りしてくれる気がします。

私が帰宅した16:30頃に金谷行の電車の中から見えたのですが、通電して車内灯をつけていました。

恐らくですが、人目に付かない夕方に試運転・乗務員習熟運転を行っているのではないでしょうか。

運用入り時期としては、C10が要検Bに入ると思われる6.7月に集客する起爆剤として運用入りさせるか、夏にトーマス用に電車を増発する際に運用入りさせるかの二択な気がします。

乗れる日が待ち遠しいですね。


南海の反対側にはパンタグラフを上げたE101が止まっています。

重要部検査で床下から屋根上までピカピカに再塗装され、新車と見間違えそうです。

客車を連結するために留置線から出てきました。

本日の客車編成はオレンジ客車6両にオハ35 559を加えた7両編成。

さくら臨でお客さんも多いので7両編成に強力なE101が補機は心強いですね。

客車に連結してSLの準備完了まで待ちます。


ここで一旦新金谷駅に向かいます。

車両区の方を見てみるとシートにくるまれた元いぶき502の台車があります。

主電動機を外し、台車枠と車輪、ばね等を整備した後、ここで放置されています。

単純に今は電気機関車3両で車両が足りているから整備しないのか、又は主電動機の整備が難航しているのか...

肝心の車体の方を見てみると11月には無かった塗装の浮きが発生し、そこに水が溜まっていました。

自分が昨年手術した粉瘤を思い出します

錆止め塗装をした個所もだんだん塗装が剥がれて金属が腐食してきているように見えます。

いぶきは定格速度がE10やE31と比べてかなり低く、使いづらいという噂もありますが果たしてどうなんでしょうか。

南海6000系が運用復帰して、E32の全検が終わったらようやく整備の手が回ってきそうな気もします。

ヒサシ付き&縦形フィルター&大型パンタと魅力いっぱいのいぶき501。

早期の復帰を願います。


車両区の裏手に回ってきました。

準備中のC10 8とツーチキン303に乗せられたC11 190の加熱管が見えます。

いぶきのパンタグラフは一応車両区の裏手に置いてあります。


煙室扉を開けたC11 190。一時期ネットでナンバープレートと前照灯を取り付けた姿の写真が話題になりましたが、どうやらあれは個人撮影会のための演出だったようです。

私もその写真を見て1,2か月は黒色で走るのかと喜んでいた(過去にC11 227は一か月のみ復帰して運転していた)のですが、そんなことは全然なく普通に検査中でした。

前回の全検明けから唯一の黒SLとして孤軍奮闘したり、トーマスとして一日2往復のオーバーワークを80日続けたり、かなり無理をしていたので早めの全般検査入場となったようですね。

今回はボイラーを抜いての検査ではなかったので、車軸の削正ぐらいしか大きな作業はしていないようです。

来年度もトーマスの運行が決まり、川根温泉笹間渡までを一日3往復する日もあるようですので、頑張ってもらいたいですね。

最早トーマスではなく過労キティなのでは

227が復帰して、190が黒色に戻るまではあと2年くらいでしょうか。


プラザロコの中にやってきました。

凄まじく大きなプラレールレイアウトが出来ていて驚き。

トーマス4重連も健在です。カシオペアとかも引き出せそう。


東海道踏切の手前から検査待ちの客車を見ていきます。

上一番にはオハフ33 215とやまぐち12系。

上二番にはオハ47 81とスイテ82 1、スハフ43 3、オハ35 435、オハ35 459、オハニ36 7が止まっています。

現在要検中のスハフ42 304の検査が終了次第、オハ47 81→オハフ33 215の順に検査入りでしょうか。

途中でオハフ33 469やオハ35 559の検査を挟む気もしますが...


普通列車に乗ってかわね路1号を先回りして撮るためにホームにやってきました。

先日検査出場したオハ47 380を見ていきます。

やけに入場期間が長いなと思っていたのですが、その間にTR47台車の輪軸交換が行われていました。

真新しい一体圧延車輪が装着済みです。

オハ35系統はほとんど一体圧延車輪に交換済みですが、その流れがついにスハ43系にも来ましたね。

古風なスポーク車輪が消えていくのは寂しいですが、すべて焼き嵌めを外して交換するのは費用的に厳しいので仕方ないですね。

C11 227が監禁されていた建屋の屋根も修復されていました。


神尾駅を通過。

神尾駅たぬき駅化計画始動!「開運たぬきっぷ」を販売します! | 大井川鐵道【公式】

の一環でガチャガチャが設置されています。

川根温泉笹間渡に到着。

営業列車を使ってとある車掌さんが運転士の免許取得に向けた訓練?を行っていました。

素敵なSLの機関士さんになってほしいですね。


折り返しの電車を第一橋梁で撮影します。

カメラの設定が下手で露出がおかしいことになっていますね...

一時間ほど待ってかわね路1号がやってきました。

ピカピカのC10にさくらHMは格別ですね。

仕方ないとは分かっていても客車が茶色だと尚よいのにと思います。

引きでもう1枚。

なんだか空の雲が怪しい動きをしているとは思っていたのですが、案の定このタイミングで陰ってしまいました。

素晴らしい1枚は190復活の時までお預けということでしょうか。

なんにせよ撮影できてよかったです。

列車を押してきたE101と梅の花?で合わせて1枚。


新金谷に戻ってきました。

E101の換算表記がレトロな書体になっていますね。

再塗装された台車にはR1 2001の文字が。

神鉄701号の台車は今も大井川の地で生きています。


C10 8が方向転換のために入れ替えを始めました。

若干車体が汚れてきて味が出ていますね。

そろそろ白線なしのスタイルも見てみたいところ。

C10が転車台で回転中、なぜか東急7200系パンタグラフが上昇。

おもむろに動き始めました。なんか動きが鈍いなと思って後ろを見てびっくり。

なんとC12 164を東急が引っ張っているではありませんか!

どうやら奥に見えるE32を入れ換えに使うためにC12を退けようとしているようです。

さすが大鉄というべきか凄まじいサプライズです。

過去には千頭駅SIV不良で動けなくなった7305をC11 190が救援したこともありますが、今回はその逆。火を入れられないC12 164を東急が入れ換えています。

SLに黎明期のステンレスカー、はつかりの客車、湘南顔の電車。カオスの一言。

C10 8が転向を終えて戻ってきました。

58654が九州の地で引退した現在、国内の営業線で営業運転をするSLの中では最古参となったC10 8。末永く活躍してもらいたいものです。


今度は午後便に家山まで往復乗車していきます。

オハ35 149の三等表記の客室扉、オハ35 559のレトロな青モケットの座席。

どれも旅情があふれています。

SLおにいさんの車内放送が無くなり、車内がだいぶ静かになってしまったのが寂しい限りです。

去年の春に乗った時はとてもにぎやかだったのになぁ。

ただ気になる点も少々。

オハ35 559の内張に水が浸入して腐った部分が浮いてきてしまっていたり、スハフ42 286の妻面から青15号が覗いていたり...

本格的な修繕をするべきなんでしょうが如何せん人手・資金不足の影響で手が回らないんでしょうね...

マニアを招いてケレン作業をさせて再塗装するとか、モケットを張り替えさせるとか、お金を払ってでもいいのでやらせてもらいたいです。(大鉄アドバンスと協力して旅行商品化して保険を掛けるとか?)


新金谷に戻ってきました。

SS 1/15くらいで流してみたのですが、なかなかガチピンが決まりませんね。

練習あるのみかな。

E101が入れ替えで車両区に引き上げていって一日のSL運行は終了です。

21001Fに乗って金谷に向かい、そこから東海道線で浜松まで。

種別が本当に増えましたね。


ということで、今回は大井川鐵道でフリー切符を使って久しぶりに乗車してきました。

春の気候で快適に旧客の旅を味わうことが出来て満足です。

ピカピカのE101を見ることもできて良かったです。

皆様もぜひ、大井川鐵道に乗ってみてください!一緒に乗って応援しましょう!

 

それでは今回はここまでとさせていただきます。

次回は京都鉄道博物館の内容になります。それではまた次回👋

2024年3月 新金谷ウォッチング Part1

皆さんこんにちはSPCです。

今年2回目のブログ更新は5か月ぶりの大井川鐵道です。

今回は

川根温泉ゆる旅フリーパス | 大井川鐵道【公式】

を使って乗り鉄してきました。

まずは前編、東海汽缶&大代川側線の内容をお送りします。

 


東海道線に乗って金谷駅にやってきました。

 

毎度恒例、5087レの金谷駅中線停車です。

牽引期は現状数少ないネタ釜ともいえる蛍光灯カバー搭載のEF65 2089号機。

今年度のEF65の運用は関東圏での運用がほぼ消滅して、この5087レを始めとする関西巡業運用が残ってくれたようです。

運用数を減らして休車をかけることによって、来年度も定期運用を残せるようにしているのでしょうか。


金谷駅を出て徒歩で東海汽缶 蒸気機関車整備工場に向かいます。

工場の前にはどこかのテーマパークのものと思われる遊覧車が置いてありました。

大井川のC56、C2のボイラーの整備もままなっていないのに、また仕事をもらってきてしまって大丈夫なのでしょうか?

記憶にある限りでも虹の郷の客車、明治村の9号機関車、この謎の車、C56 135のボイラー、C11 227のボイラーと仕事が山積しているように見えるのですが...

深くは考えないことにしましょう。

工場前には先日C11 227と台枠を交換し、無残な姿になったC11 217が鎮座していました。

その前には明治村9号の動輪が置かれています。

元227の台枠の前梁には謎の円盤が付いています。

10年間、子供たちの夢を運んだ証ですね。

裏から217のボイラーを見ていきます。

高岡で塗った白い塗装もクレーンで釣った時に剥がれたところからだんだん錆が出てきています。

焚口戸には蓋がされていませんがこれは大丈夫なんだろうか...

個人的な推測でしかないのですが、追々は徹底的にOHして227か190のどちらかに載せ替えるのではないかと予想しています。

仮に227に載せ替えた場合、それは最早217号機と言える気もしますが...

車体の奥には元227の動輪と先輪、217の従台車が置かれていました。

台枠を217のものに置き換えるということで、動輪やロッド類も置き換えた方が相性を考えるとベターなのでしょう。

単純に227の動輪がタイヤ厚や輪心、車軸の歪みの点で使える状態にないのかもしれませんが...

元227の台枠とシリンダーを見ていきます。

蒸気機関車の動態保存と言われるとボイラーが命だと言われますが、個人的にシリンダーはその次に重要な部品であると思います。

東武のC11 123や先日引退した58654はボイラーをほぼ新造していますが、そのどちらもシリンダーに関しては現役当時のものを使っています。

過去にネットの記事で見ましたが、鋳物の部品で莫大な費用が掛かるため、SL引退後にシリンダーは一切新造されたことがないそうです。

摺動部品であるため摩耗しやすいはずなのに、保存蒸気はすべてオリジナルのシリンダーを使っているのです。

227がまだ現役で走っていたころ、ドラフト音とは別にやたらデカい排気音が聞こえてきたのは多くの方が知っていると思います。

真相は分かりませんが、元227のシリンダー(恐らく亀裂や歪みが出ていた?弁装置周りの故障かもしれんが。)は相当深刻な故障に見舞われていたのでしょう。

58654も引退間近の頃は変なドラフト音を鳴らしていましたね。

今回、227は217の比較的状態良好と思われる台枠とシリンダーに交換することが出来ましたが、将来を見据えたとき同じように状態良好なドナーがあるとは到底思えません。

ボイラーと同様、シリンダーが限界を迎えたとき、日本の保存蒸気は終ってしまうと言えます。

敷地の反対側には11月の時と変わらず様々な部品が置かれていました。


続いて大代川側線にやってきました。

富士山がきれいに見えます。

元々道路を挟んで川側にあった部品類が一気に線路側に移されました。

ざっと内容を挙げると

  • C11 217の廃パーツ(水タンクや煙突、砂箱、元空気ダメなど)
  • 旧型客車の古いスポーク車輪(タイヤ厚がもう無い)
  • C56 44がタイで付けていた連結器
  • C56 44のカウキャッチャー
  • いぶき501のスノープロウ
  • 近鉄16002Fのものと思われる補機類
  • TR23台車枠一つ

といった感じです。

恐らく草むらに埋もれて見えていなかったものもあったんでしょうね。

個人的にはいぶきのスノープロウが一番気になりました。

仮に今後いぶきがATS装備で復活するのであれば、高崎機関区のSLのようにスノープロウでATS車上子を隠して搭載したらいいのに、と思っています。

何よりスノープロウが付くとより重装備に見えてかっこいいですよね。

この先このパーツ類がどうなるのかですが、必要なものだけ残して水タンクなどの不要物は屑鉄業者行きになってしまう気がします。

今は鉄の買取価格も高いので、お金になりますからね...

TR23台車枠の奥に若干見えますが、中古と思われるRC枕木がたくさん置かれていました。

既存の区間の軌道強化に使うのか、それとも不通区間の災害復旧に使うのかは不明ですが、少しづつ線路の強化を進めていくようですね。

災害・経年に耐えられるように線路設備を整備していってもらいたいものです。

部品類の奥には12月の連結器開放事故の当該車両であるE34とオハフ33 469が止まっていました。

続いてE33を見てみるとなんと金谷方の連結器が取り外されているではありませんか。

これは個人的な推測に過ぎないですが、恐らくE34号機の千頭方の連結器を正常に機能するものに交換するよう、国交省から指示が出たのかと思います。

十中八九あれはヒューマンエラーだとは思いますが念には念をということなんでしょうね。

どっちにしろE33はMGレスや抵抗器or主電動機の不調?といった問題があり、部品取り機化は確定だったので仕方ないと思います。

この時はまだATS車上子はE33に残っていますね。

ただ、この様子だとE32の全検の際にE33のATSを移植する可能性も十分にありますね。

影の立役者として、E32,E34の活躍を見守ってもらえたらと思います。

こちらはE33に連結されたオハ35 22です。

車籍を有する最若番のオハ35ですが、この先どうなってしまうのでしょうか。

部品取りなのか、解体なのか、はたまたここで本格的な修繕をするのか...

個人的には乗ったことがない車両なので復帰してもらいたいものです。

さらに奥にはC11 227の砂箱やケーシングが置かれていました。

砂箱は塗装剥離して再利用、ケーシングは新製になると思います。

C11 217の台枠についていたランボードの歩み板も捨てられていますね。

これも新しく縞鋼板に張り替えでしょうか。

写真はありませんが、ジャンプして庫内を見たところ、217の台枠が置かれていました。

梁に錆止めが塗られていたので、少しずつ整備は進んでいるのかな?

とにかく早くC11 227が現役復帰して黒光りする車体を見せてくれることを願うばかりです。


 

少し長くなってしまったので、ここまででいったん切り上げます。

ご覧いただきましてありがとうございました。

後編ではかわね路に乗車していきます。それではまた次回。

EOS R7 導入!

みなさんこんにちは。SPCです。

年末以来超久々のブログ更新となる今回は念願のミラーレスカメラ、Canon EOS R7を導入したのでその紹介をしようと思います。



①ミラーレスカメラ導入に至った経緯

そもそもなぜ20万円もするカメラを導入するに至ったのかの経緯を少し話したいと思います。

今まで私はSONYのDSC-WX350という2万円のコンパクトデジカメを愛用してきました。

1820万画素の1/2.3インチセンサー、換算25mm-500mmの20倍光学ズーム搭載のコンデジです。

たった164gという軽量さや、お手軽なズームレンジはとても気に入っていたのですが、それ以外の点が全てにおいて撮り鉄には絶望的でした。

例を挙げればきりがないですが、

  • Mモード、TVモードなどがなく、シャッタースピードを指定できない。
    (PオートでISO感度を調整して、体感でSSを決めるしかない)
  • AFの性能が絶望的で、C-AFが使えない。
  • 言うまでもなく画質が絶望的(特にズームしたとき)
  • 連写バッファが絶望的に弱く、10コマ/秒だと1秒(つまり10コマ)でバッファが切れる。その後ビジー状態が10秒続く。

参考までに上の動画をどうぞ。

といった点が挙げられます。少しカメラに詳しい方ならこの絶望感が伝わると思います。

ということで、連写が効き、Mモードがあり、画質の良い一眼カメラを買う運びになります。


Canon EOS R7に決めた経緯

様々なメーカー、機種を検討していく中で、メーカーはCanon、形式はAPS-Cミラーレスにする方針が立ってきました。

理由としては、

  • 撮り鉄には圧倒的にCanonNikonのユーザーが多いため。
  • NIkonには性能の良いAPS-C機が現状ないため。(Z50では少し役不足
  • 友人氏にEOS 7D mark2を貸してもらった時に、一眼レフの重さに絶望したため。
  • 一眼レフは露出調整が大変だと聞いたため。
  • フルサイズは高すぎて買えない(&重い)ため。

といったものが挙げられます。

選考落ちの機種にはツイートした

のような機種が挙げられます。

特に、R10と90Dはかなり迷いました。

ただ、90Dは一眼レフであること。R10は小型軽量は魅力的なものの、シャッターのラグ、電池持ち、質感など気になる点が多々あったこと。これらを理由に候補から除外されることになりました。

結果的に、Canonの最新APS-C機種、EOS R7の18-150mm、レンズキットを購入しました。

レンズに関してはまずは手っ取り早く高倍率ズームを選択しました。

マップカメラさんにて購入。価格は20万越え...

貯金が吹っ飛びましたが、5年10年と使えるものなので良しとしましょう。

https://www.mapcamera.com/ よりスクリーンショット


③R7と一緒に購入したもの

初めて高価なカメラを買うということで、多くのアイテムを同時に購入しました。
主に三つのジャンルに分けると、

1.カメラに取り付けるもの

・HAKUBA 55mm レンズフィルター XC-PRO 2200円

・HAKUBA 液晶保護フィルム 770円

Canon レンズフード EW-60F 1700円

・Nextorage SDカード UHS-ii V60 F2SEシリーズ 256GB 9800円

2.カメラをメンテナンスするもの

・HAKUBA レンズペン3 レンズフィルター用 1900円

・HAKUBA ハイパワーブロワープロ 02 L 1500円

3.カメラを保管するもの

・HAKUBA ドライボックスNEO 5.5L 1700円

・HAKUBA カメラバック Chululu レニュー インナーポーチ L 4000円

(画像は https://www.amazon.co.jp/ よりスクリーンショット

の合計8点を購入しました。かなりの出費になってしまいましたが、カメラを傷やカビから守ったり、快適に利用したりするためには必要な投資だと思います。

特に、インナーポーチはリュックに入れるバックとしてとても使いやすく、質感も高かったためおススメです。

あと、ブロワーがカメラだけでなく、スマホやパソコンモニターなどの様々な機器のホコリを飛ばすのに大活躍で何気に便利でした。


④カメラを開封

マップカメラより到着

黒色のかっこいい箱に入っています。

白い梱包材から取り出します。

ビックカメラで相当触ったのでどんな感じかはわかっていますが、改めて自分のものとして手に持ってみると感動です。

コンデジと比べるとだいぶずっしりしています。

本体にレンズ、レンズフート、フィルター、液晶フィルム、ストラップを取り付けます。

レンズがだいぶ小型軽量なのでフロントヘビーにならなくて良いですね。


⑤R7の気に入ったところ

・圧倒的なAFと連写性能

やはり秒間15コマの高速連写とJPEG撮影では止まらないバッファは素晴らしかったです。

連写音が銃みたいでコンデジと比較して撮っている感じが高いのもいいポイントです。

参考までに浜松駅でドクターイエローを撮った時の一連の連写を動画にしました。

新幹線という速い被写体、比較的広角での撮影でも15コマ/秒の連写力で自由自在にカットを選ぶことが出来ました。

追々はRAW+JPEGで撮影したいところですが、その際も5秒程度はバッファが持つようなので大丈夫そうです。

余談になりますが、購入したNextorage V60 256GBのSDカードの性能はこんな感じ。

R7のバッファフルからのバッファ開放は6、7秒といった感じでかなり高速です。

3250万画素ということでかなりデータが大きいので、256GBは良い選択だったと思います。

・操作しやすい素晴らしい筐体

マルチコントローラーと二つのダイヤル、十字キーといった多彩な操作系が装備されています。

特に十字キーに様々な設定を割り当てることができ、(例えば連写のコマ数や記録画質)非常に便利です。

親指の位置にある電源スイッチもすごく使いやすいです。

撮りたい被写体を見つけたら片手で即電源ON、爆速AFでピント合わせ、あとは構図さえ決めてしまえば簡単に写真が撮れてしまいます。

USB-C端子経由で給電・充電できる点もGOOD。出先でモバイルバッテリーをスマホ等と共用できます。


⑥R7のもう少しなところ

・思ったより高くない高感度性能

APS-Cの高画素カメラということで、高感度性能は思ったより高くありません。ISO3200かISO6400あたりが実用上の上限でしょうか。

多くの人がフルサイズにあこがれる要因はこれか!と実感しました。

今後明るい短焦点レンズを購入して、ある程度カバーしていけたらいいですね。

 

その他はおおむね満足。価格に見合った高性能なカメラだと思います。


⑦最後に

以上、EOS R7を導入した経緯と簡単なレビュー?でした。

完全に私個人の忘備録となっていますがそこは悪しからず...

本当は作例写真を乗せたかったのですが、人に見せられるような写真がまだあまりないので、追々他の記事で上げていきます。

それと望遠レンズと短焦点レンズを早めに導入したいですね。

購入のための資金は用意していないんですが(^^;

 

本日もご覧いただきありがとうございました。

次回はようやく春の旅行の内容です。

それではまた👋

2023年を振り返る! 下半期編

こんにちは。SPCです。

今回は2023年を振り返る! 上半期編 - SPC旅行記の続きということで、下半期編をお送りします。



7月 大井川鐵道

大井川鐵道にトーマスとC10 8を眺めに行きます。

耳の手術を控えていたので、自分を鼓舞するための大鉄訪問です。(意味不明)

まずは5087レ金谷停車から。牽引期はEF65 2092。スノープラウなしの形態です。太陽の位置が春と違い、盛大な逆光となりました。

新金谷に到着。早速バーティーが出迎えてくれます。

トーマスは洗顔中。目に洗剤が入ったら痛いんだろうか。

8月6日からの運転に備えて、C10じいちゃんも待機しています。その奥ではE34が全検中でした。

バスのバルジーと大鉄観光バス。ツアーのお客さんが沢山いて賑やかです。

トーマスが帰ってきました。E101がEL急行に専念しているため、E32がトーマス補機をしています。本線不通のせいでE32でも補機ができてしまう皮肉...

EL同士が顔合わせをします。

本当は合格駅とかで撮り鉄するつもりでしたが、35℃の猛暑で新金谷から動くことが出来ませんでした。マジでこの夏は暑かったよ。


8月 大井川鐵道

また大井川鐵道です。2023年4回目ってマジかよ... ただ、今回は友達と一緒です。

大代川側線に来ました。C10 8の旧石炭庫が切り裂かれていました。

普通電車に乗って門出駅に先回りします。新金谷で入れ替え中のC10 8を撮影。

門出駅では660円の絵馬を買うと、C11 312の下側に潜ることが出来ます。

灰箱周りの構造を知ることが出来て、良い体験になりました。

門出駅から少し歩いたところでC10 8を撮影します。直前に雲が出てきて、陰ってしまいました。日頃の行いだね。

全検出場から間もなく、きれいなままの16003Fも撮影することが出来ました。


8月 長崎・長崎からの帰還

大井川鐵道の数日後、今度は長崎へ行きました。

富士山静岡空港から、FDAに乗って博多に向かいます。

博多空港から地下鉄で博多駅へ。普通電車などを撮影しつつ、リレーかもめを待ちます。

787系 リレーかもめ

武雄温泉駅に着きました。特急ということで、「さぞ快適だろう」と思っていたわけですが、めちゃくちゃ揺れました。JR東海の保線技術の完璧さを再確認。

N700S かもめ

西九州新幹線に乗って長崎まで来ました。乗り心地はノーマルのN700Sと変わらす最高。あっという間に着いてしまったのが惜しいぐらいです。

長崎市電に乗って観光します。釣りかけ音が最高です。

眼鏡橋や、軍艦島、名物の四海楼のちゃんぽんなどを満喫。

宿からの長崎市街の夜景が絶景でした。(画質が悪くて申し訳ない)

長崎市内で2日、ハウステンボスで1日過ごし、特急みどりに乗って博多駅に帰ってきました。充当車輛は885系。783系にもいつか乗りたいね。

帰りは新幹線で静岡まで帰ります。

写真はないですが、N700系7000番台、500系、700系レールスターを乗り継いで新大阪まで向かいます。

途中、岡山に1時間だけ寄って、引退間近の381系を見ていきます。岡山駅の勝手が分からず、逆光写真が量産されましたが、気にしたら負けです。

最後の国鉄電気釜を見ることが出来て満足です。

その後、新大阪からN700に乗って、無事帰着しました。


 

9.10月は特に鉄活動をしていません。(学校が忙しかった)

 


11月 名古屋

ここから先はブログにしましたが、11月はまず名古屋に行きました。

EF64 重連 8084レ

EF66 118 3077レ 代走

お気に入りの写真を二枚貼っておきます。


11月 駿河屋・大井川鐵道

こちらもブログにしましたね。

C11 217

C10 8

こちらもお気に入りの写真を二枚貼っておきます。


12月 5087レ

友人とNゲージの運転会をしたときに、浜松駅で5087レを撮影しました。

EF65 2080

上半期編の一番最初、EF65 2065を撮った時から全く腕が成長していなくて面白いです。

来年もEF65の四国仕業が残るかは怪しいですが、3071レ代走、9863レもあるので、今後も記録していきたいですね。

 


最後に

以上、2023年の鉄旅の振り返りでした。

長い記事を最後までご覧いただき、ありがとうございました。

来年もブログは書いていくので、見ていただけると幸いです。

 

それでは、よいお年をお迎えください。

2023年を振り返る! 上半期編

こんにちは。SPCです。

今回は2023年の振り返りということで、1年の鉄旅を振り返っていきたいと思います。まずは上半期編をお送りします。



1月 5087レ

用事のついでに浜松駅で5087レを撮りました。1月はこれだけです。

牽引機はEF65 2065。先日大宮送りになったカマです。光線と画質と色が終わっていますが、記録できただけ良しとします。


2月 沖縄

学校の行事で沖縄に行きました。

ゆいレール撮り鉄したり、国際通りで散策したり。京急感がすごい。

390円のソーキそばが美味しかったですね。

有名かもしれませんが、静岡歯科の看板がありました。

平然とゆいレール撮り鉄してますが、同行者(4人)は全員鉄オタなので問題無しです。


3月 名古屋

名古屋に行きました。まだ名古屋車両区の転車台や車庫、キハ85が現役だった頃です。

丹鉄に行ったキハ85 6.7がこのとき既に2両連結されて留置されています。

HC85もたくさんいました。今はすっかり高山の顔ですね。

名古屋駅を発着する211系やキハ85も過去の光景に。

S式も貴重な記録写真になると思います。

EF65 2127が5087レを牽いてやってきました。

名駅エキセンはこのとき30人くらい居ました。通過後の歓声はすごかったですね。


3月 大井川鐵道

2022年10月以来の大井川鐵道です。C10 8に乗りに行きました。

まずは5087レ金谷停車から。ループで四国運用に入ったEF65 2127に三日ぶりに会いました。桜と絡めて撮ってみたり。

カラシとは合計四回会いましたが、これが最後となりました。

本題の大井川鐵道です。この日は大規模修繕後のC10 8に初乗車となりました。午前便に乗りましたが、SLお兄さんとお話できて嬉しかったです。

途中午後便に向けて機回し中のE101。今は大代川側線送りになったE102との最後のツーショットです。

門出駅で午後便を撮影しました。この日は「外国人が選ぶ日本の駅総選挙」の取材で、演歌歌手の徳永ゆうきさんが乗車されていました。驚いたなぁ。


3月 京都

友達と18切符で京都に行きました。

嵐山の展示館?みたいなところにEF66のカットモデルと元共栄興業のSLが置いてありました。状態がとてもよかったです。

京都駅に戻って5087レを撮影します。順光なのがいいですね。牽引機はEF65 2066でした。年末時点で稼働する最若番機ですね。

京都観光らしく、渡月橋伏見稲荷にも行きました。今は外国人観光客の方が凄まじく多いらしく、観光も困難な模様。早いうちに行けて良かったですね。

最後に草津で抹茶色の113系も見ることができました。


4月 大井川鐵道

またまた大井川鐵道です。月に一回の訪問ペースはさすがに恐怖です。

まずは5087レ金谷停車から。この日はずっと撮りたかったEF65 2101が充当されました。今は台検切れで隅田川に放ったらかされてますが、復活する日は来るのでしょうか。貫禄がすごかったですね。

今年もトーマスが来日。C11 190はソドー島へ。水タンクに謎のステーがありますね。

東海汽缶 蒸気機関車整備工場も操業を開始しました。C56 135やC11 227のボイラーの早期修繕完了を期待します。

この日はC10 8の春季運転最終日。スハフ43 2を含む旧客3両編成を撮るために、わざわざ福用のお立ち台まで来ました。

しかし、残念ながら列車は来ず。C10 8が合格駅周辺で故障したようです。切符代を無駄にしてしまいましたが、仕方ありません。献金だと思って帰ります。

列車が少なすぎて折り返し列車まで2時間近く福用駅で待ちぼうけたのはいい思い出。


5月 ドクターイエロー

飯田線秘境駅号とドクターイエローを撮影しました。センスがなさ過ぎてどちらも悲惨なことに。

373系は森にも似合いますね。秘境駅号、いつか乗ってみたいなあ。

陰ってしまって、ISO感度が上がり、絵が崩壊する、連写も効かない...

ドクターイエローもほぼ余命宣告状態ですし、ミラーレスを購入したらリベンジしたいですね。

 


最後に

6月はどこにも行かなかったので、上半期編はここまでとします。

ご覧いただきありがとうございました。

次回は下半期編です。よろしければご覧ください。

2023年11月 新金谷ウォッチング Part2

こんにちは。SPCです。

今回は、新金谷ウォッチング Part2ということで、

2023年11月 新金谷ウォッチング Part1 - SPC旅行記

の続きです。大代川側線等の様子について書いていこうと思います。

 


蒸気機関車整備工場の後は、大代川側線にやってきました。

馬鹿みたいに10km近く歩いたせいで、足が2007年のC11 312状態になった件

C11 217の廃パーツが置かれています。どれも錆ていますし、再利用の予定はなさそうです。石炭庫には中部地方のC11特有の排水管がありますね。


反対側を見ていきます。

8月に来た時にも居た、C12 164やオハ35 22がまだ居ました。

本当にオハ35 22はどうなってしまうのでしょうか。

個人的には復帰してもらいたいところですが...

それ以外にも、C11 227のタンク類や先輪などが置かれています。

怒涛のキャブ三重連。C56 135+C11 227+C11 217です。

これも恐らくどれも再利用はしないと思います。

C11 190とC10 8は大規模修繕の際に、これらを再利用しましたが、それには

  • C11 190→ 復元の際に、板をすべて張り替えたため、状態が良かった。
  • C10 8→ 構造が古くて複雑かつ、文化的価値も高いため、新造交換をためらった。

といった理由があるかなと見ています。

227の方は大量に青い塗膜が付いているので、再利用は無いかなと。


部品取りとなったE33も置かれています。

MGが無く、重連専用の同機は完全にお荷物と化していたので、引退でしょうね...

C11 227の先輪です。

恐らく、復帰後の227に残る、数少ないオリジナル部品になるでしょう。

タイヤはC10みたいに、焼き嵌めを外して交換ですかね。

227のコールバンカー。

ATSが外され、左下には穴があけられているので、新造交換になると思います。

78年間、お疲れさまでした。

他にも227のランボードと思しき部品も。

ケーシングや煙突も置かれていました。ケーシングは確定で交換でしょうね。

煙突は元の絞りありの形態に戻してほしい気もしますが、312の遺品らしい絞りなしの形態も、歴史を物語っていて捨てがたいものです。

14系やナロ80も朽ちていきます。やまぐち12系は、元からの状態不良もありますから、あまり期待していませんが、14系だけは何とかしてもらいたいものです。

4両という編成はSL単機で牽引できるので便利だろうし。

E102はカラスの住処になっていました。

台検Bが切れており、不調説もある同機。

E101の部品取り機になってしまうのでしょうか。

C12 164も夕日に照らされています。

227が履いていた、元312の従台車も置かれています。

さらに元をたどると、これはC10 4の物らしく、312が会津若松に居たころに交換されたようです。

だから、戦後製造の312がスポーク動輪の従台車を履いていたんですね。


 

7枚も写真を貼りましたが、なんとC11 227の台枠が外に置かれていました。

研修庫にしまうのがめんどくさかったのか、それとも外部メーカーで修理するのか、などと画策しながら、大興奮で写真を撮っていた私。

 

その答えは思ったより早く分かりました。

これを撮影したのは日曜日ですが、翌週の水曜日には、先述のC11 217号機との間で、台枠が交換されたようです。

動輪に関しても、同時に交換されたようで、現在は

  • C11 227の動輪と台枠
    蒸気機関車整備工場にある。台枠にはC11 217のボイラーが仮置き状態。
  • C11 217の動輪と台枠
    → 動輪はC56 135があるテント車庫の中。
    頃合いを見計らって、業者に搬出・削正をすると思われる。
    台枠は、227の台枠が置いてあった小台車の上に。

といった感じになっています。Xでもポストしましたが、この一連の動きの裏には、

  • C11 227のオリジナル台枠に、亀裂や歪みなどの致命的な欠陥があったから。
  • C11 227のオリジナル台枠のシリンダーブロックが限界だったから。
    (左右でシリンダーのボアが異なり、整備性に難があり、ガタが来ていた?)
  • C11 227とC11 217は製造元が同じなため、台枠の鋳型も同じ?と考えられ、部品のマッチが最高だったから。
  • 「あらゆる可能性を排除せず」と言って、譲受したが、あくまでも本来は、部品取り機として、C11 217を大井川鐵道は手に入れたから。
  • C11 217は廃車が1969年と早く、以後ずっと静態保存されたいたため、台枠の金属疲労が227に比べて50年分少ないから。

といった理由が考えられます。

C11 217そのものの復活が望めなくなったのは残念ですが、これが最適解なんだろうな、とは自分も強く思います。

大鉄としては、看板機関車のC11 227は絶対廃車にしたくないでしょうし。

他にも謎の灰箱が捨てられていました。


大代川側線から歩いて戻ってきました。

幕が抜かれた6905Fと疫病神こと21001Fが止まっています。

今年はまだ事故ってないやん!とかこの時は思っていたわけですが、まさかあんなことになるとは

その奥にはトーマス君が笑顔で止まっていました。

今年度も残り数日の運行。無事に走り切ってもらいたいものです。

来年度も全検切れまでC11 190が継続投入になると思います。

10周年のアニバーサルイヤーですから、面白い企画に期待したいところです。

DD202をトレーラーに乗せて拉致ってきて、大代川側線で走らせてみる?(無理ゲー)


新金谷プラザロコ前に、面白いものが。

電動キックスケーターのレンタルらしいです。

免許さえあれば乗れるみたい。期間限定らしいですが...

私も免許を持てる年齢になったら、これを使って大代川側線まで行きたいですね。


C10が帰ってきました。

蒸電逆機重連とかいう意味不明列車です。

日章旗付きの顔は凛々しくて好きです。

C10も大規模修繕から一年経ちますが、美しい姿を維持していますね。

重連で、客車の片づけです。

さながら上野駅に推進入線してくる特急はつかりのようです。(意味不明)

重連で入れ替えをしてお仕事終了です。お疲れさまでした。

次に来たときは乗車して金を落とそうと思います。


快速急行として走ってきた16003Fに乗って金谷まで行きます。

相変わらずの快適具合。

最後に今回使った切符でも。

連絡乗車券を使いましたが、乗り換えがスムーズにできて便利です。

皆様も使ってみてください。


 

C11 227の台枠など面白いものを見られていい旅になりました。

次回はいつになるかわかりませんが、Nゲージについて書いてみようと思います。

ここまでご覧いただきありがとうございました。

 

それではまた次回。